プロローグ

放課後、ひとりで帰ろうとしていた百合は、自分の靴箱を開けると中からこぼれ落ちてきた紙くずの山を見て、深いため息をついた。
靴箱の中に押し込まれていた紙くずには様々な言葉が書かれているが、読まなくても内容はわかっている。
百合を蔑む様々な言葉の羅列。
(なんでなの・・・?)
悲しみのあまりに涙がでてきそうになるが、ぐっとこらえた百合は、黙って床の上に落ちた紙くずを拾う。
そこへ一人の少女が声をかけてきた。
「あら、柳瀬さん。ゴミ散らかしちゃだめじゃない」
わざとらしいほどに意地悪な口調の少女の声。
彼女の顔なんかみたくもない百合だったが、顔を上げて少女を見た。
目の前にはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた少女と、その後ろに数人の少女たちが並んでいる。
「わ、私じゃないです・・・」
百合はおどおどした声ながら反論する。
「私じゃないって・・・。今、あなたの靴箱の中からゴミが落ちたのを私達は見たのよ。どうせ自分の靴箱をゴミ箱代わりにしてたんじゃないの?」
「そ、そんな・・・!違います。私はそんなことしてません・・・・」
百合は必死に反論するが、靴箱を背にして少女グループに取り囲まれる形になり、すっかり圧倒されてしまっていた。
「言い訳するつもり?どうみても、あなたがやったに違いないじゃないの」
意地悪な少女は畳み掛けるように言う。その表情は醜悪な感じすらする笑みを浮かべていた。
「全部拾って、私が捨てますから・・・。もうやめてください・・・」
百合はそれだけ言うと、再びゴミを拾い始める。
「ふん。じゃあ、心優しい私達もお手伝いしてあげるわ」
少女はそういうと、背後の取り巻き少女達に目配せをした。
取り巻きの一人が、床に置かれた百合の通学カバンを取り上げると、勝手に開けてしまう。
「あっ!?なにを・・・?」
「ゴミはゴミ箱に捨てるのよね」
楽しげに言いながら、少女は拾い上げた紙くずを百合のカバンに押し込んでしまう。
「わ、私のカバン・・・・!」
百合は手を伸ばして自分のカバンを取り戻そうとするが、取り巻き少女に阻まれてしまった。
「あら、これはゴミ箱よ、ゴミ箱」
少女は言いながら、紙くずを百合のカバンの中へ無造作に突っ込んでいく。
「ひ・・・ひどいわ・・・。三井さん・・・なんでこんな・・・」
百合は涙で潤んだ瞳で、三井という名の少女をにらみつけた。だが、元々が優しい顔立ちをしているから迫力は全然ない。
「そんなマジに怒ることないじゃない。遊びよ、遊び。お友達のいないあなたと、一緒に楽しく遊んであげてるのよ。感謝されても、怒られる筋合いはないわ」
そう言って少女は逆に百合を睨み返すと、百合は顔をうつむかせてしまった。
彼女に友達がいないというのは事実だった。人見知りする性格のため、友達をつくるチャンスを逃してしまったのだ。クラスの中心的存在である少女、三井とその取り巻きグループに睨まれたせいというのもある。
「もういいわ。ゴミはちゃんと捨てるのよ。さあ、みなさん、行きましょう」
少女はそう言い捨てると取り巻きの少女たちに声をかけて、背を向けて去って行った。
後に残された百合は、顔をうつむかせたまま革靴に履き替える。
クギで引っ掻いたような傷跡の残る茶色の革靴の上に、涙の雫が零れ落ちた。



女子高校に通う2年生の柳瀬百合がいじめの標的になったのは、去年の春のことだった。
良識ある人間から見れば、その理由はあまりにもバカらしいものだ。
百合をいじめているグループのリーダー格、三井がクラスメイトたちを自分の誕生日に行われるパーティーに招待し、それを百合が欠席したことに始まる。
彼女も別に行きたくなくて欠席したわけではない。家の用事があって、どうしても出席できなかったのだ。
だが、政治家の娘で自己中心的に育てられた三井は素直に受け取らず、自分のことを軽視したと考えたのである。彼女にとり自分の誕生パーティーは、家の用事よりも優先するべきことだったのだ。
結果、三井の誕生パーティーに欠席したのはクラスの中で百合ただひとりで、それから少女グループによるいじめが始まった。
教科書や筆記用具を隠されたり落書きされたりなどの嫌がらせだが、もちろんこの程度のことでも喜ぶ人間などいるはずがない。
しかし、百合はおとなしくて内向的な性格のためにこうした嫌がらせに対して毅然と立ち向かうことが出来ず、少女グループのいじめを甘んじて受けてしまったのである。そんな彼女を見て三井たち少女グループはますます調子に乗り、嫌がらせをエスカレートさせていった。
この間、クラスメイトたちは誰一人として百合を助けようとしなかった。担任教師すら見てみぬふりをしていた。みんな、政治家の娘という三井の立場に恐れをなしていたのだ。
百合にとって唯一の味方になるはずの両親にはいじめの事実を話していない。悲しませたくないからだ。
結局、百合にできることは一人、ただじっと耐えることだけだった。
卒業するまでじっと我慢すればいい。
そんな悲壮な決意を固めていた百合だが、彼女の心はもう限界に近づいてた。



「なんで、こんなにつらい目にあうの・・・?」
学校からの帰り道に立ち寄った公園のベンチに座った百合は、つぶやく。
一番悪いのは三井だった。親の権力を自分のものと勘違いしている最低の少女。人の悲しみ、苦しみを理解しようともしない最悪の人間。
彼女を中心とする少女グループが自分をいじめていると知っているのに、見てみぬふりをしている担任とクラスメイトたち。
それらがわかっていながら、毅然とした態度でいじめに立ち向かうことの出来ない自分自身の心も情けない。
「もう・・・生きていたくない・・・・」
百合の心に、最後の考えがよぎる。
自分をここまで育ててくれ、名門と呼ばれる女子校にまで入学させてくれた両親に対する申し訳なさはあるが、もう耐えられそうにない。
この程度のことで・・・と批判する人がいるかもしれない。だが、1年以上に及ぶ度重なる嫌がらせは、百合の心を確実に限界へと追い込んでいたのである。
今の百合の心には、絶望しかなかった。彼女はカバンの中からカッターを取り出した。
(パパ、ママ・・・。ごめんなさい・・・)
心の中で両親に詫びると、右手に握ったカッターの刃を出した。それを左手の手首にあてる。
その時。
「きゃっ!?」
百合は思わず悲鳴を上げた。突然、地面が激しく揺れ始めたのだ。
「じ、地震っ!?・・・痛っ・・・!」
百合は顔をしかめる。揺れは10秒ほどで収まったが、そのショックによりカッターで手首を切ってしまった。傷は深くないが、少しずつ血が滴り始める。その痛みで、百合の決意は鈍ってしまう。
(私は、思い切って死ぬ勇気もないみたい・・・)
そう思いながら自嘲的な微笑みを浮かべる百合だが、その微笑みが凍りついた。
「え・・・・?なに・・・?」
百合は自分の足元に信じられないものを見る。
足元に黒い染みのようなものが広がり始めていたのだ。それは円状に広がっていき、円周からは青白い電気が迸っていた。
パリパリパリっと、小さな電気のスパーク音が聞こえる。
「な・・・なんなの・・・?」
恐怖のあまりに百合は身動きすら出来ず、ただ自分の足元に広がる黒い「穴」と電気を見つめていた。
「穴」は見る間に百合ひとりが通れる位の大きさとなり、「穴」の円周から流れる電気が百合の脚にまとわりついた。
「い・・・いや・・・」
恐怖のためまともに声を出せない。百合は助けを求めようと辺りを見回したが、誰も通りかからない。
「ひぃっ!?」
百合はまた悲鳴を上げる。脚にまとわり付いた電気に脚を引っ張られ「穴」に引きずり込まれるような感覚があった。
それは感覚ではなく、現実だった。頭上に、今まで座っていたベンチが見えていた。
百合は慌てて「穴」の縁に手を伸ばして掴もうとするが、先ほど切った左手首に激痛が走り、
掴むことが出来なかった。 身体がものすごい勢いで穴の底に向かって落ちていく。
「いや、いやああああっ!」
その声を聞くものは誰もいない。
深い闇に包まれた空間の中に、百合の悲鳴だけが響き渡った。


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